「私のいのち」は一つだと思っているけど、
本当にそうなんでしょうか。
60兆個の細胞、一つ一つが生きているんだから、
人間の身体は60兆のいのちの塊だと
いうことができるのではないでしょうか。
そして、通常、60兆個の細胞は
人間という一つの形から独立して
外に飛び出していくことはありませんが、
例外が「精子と卵子」です。
(卵子は受精卵⇒胎児⇒赤ちゃんとなり外に飛び出します。)
精子にもいのちがあります。
だから卵子めがけて泳いでいくわけです。
この精子も私を構成している60兆個のいのちの一つ。
一方で卵子も一つの細胞としていのちを持っています。
そして受精。これって二つのいのちが一つになることです。
1+1=1(!?)
考えてみると不思議な現象ですね。
生まれた赤ちゃんは、
よくよく考えると、
父親のいのちと母親のいのちを
受け継いだものですから、
両親のいのちが拡散したと考えることができます。
赤ちゃんのいのちでもあるんですけど、
父のいのち、母のいのちでもあるということです。
私は男性なので、私を構成しているたくさんのいのちのひとつが
精子となって、私の身体の外に出て、
最終的に赤ちゃんになったわけですから、
私の子どものいのちは、私のいのちでもあります。
そういう私も、両親のいのちが外に飛び出たと
考えることができますから、
私自身も常識的な「私のいのち」であると同時に、
「両親のいのちの外出しバージョン」でもあります。
その両親は祖父母のいのちの外出しバージョン。
ということは、私は「両親のいのちの外出しバージョン」
であるけれども、その両親のいのちは
祖父母のいのちでもあるわけですから、
私は元をたどると、私も「祖父母のいのちの外出しバージョン」
でもあると言えます。
これを繰り返していくと、
「私のいのち」と思っているものは
両親のいのちでもあり、祖父母のいのちでもあり、
もっともっと遡った先祖のいのちでもあります。
人間の先祖をさらに辿っていくと、
最後は地球上に初めて生まれて、
次の世代に命をつないだ
生物のいのちにたどりつきます。
この生物を仮に「A」とすると、
この世に生きる全ての動植物は、
「A」のいのちでもある。
そういう意味で、
いのちは一つなのではないでしょうか。
いのちって面白いですね。
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