10月21日【ゆるピタ!】放送後記

昨日のゆるピタ、お楽しみいただけたでしょうか?

明治神宮御境内林苑計画

前半は、明治神宮のレア話。

明治神宮の森はどのようにしてつくられたのか、

というお話で盛り上がりました。

 

私は聴き役の方でしたが、

当時の人たちの深謀遠慮が垣間見えて、

実に興味深いお話でした。

 

また、途中から、せいれいの復習ということで、

せいれいの算出方法、各せいれいの特徴、

せいれいを学ぶメリットなどについてお話を致しました。

 

中盤の音楽は、萩原ゆたかさんの「たったひとつの」。

他の人と比べることなんてないんだ、という

力強いメッセージが印象に残りました。

 

東洋思想には関係のないコメントで恐縮ですが、

Sus4からメジャーで解決する

コードパターンに弱く、実に心地よい感じでした。

(例:ドファソの和音⇒ドミソの和音)

 

後半は、「モノを分けない発想」と「モノを分ける発想」の続き話から、

「モノを分ける発想」に大きな影響を与えているのが

「ことば」なんだ、というお話をしました。

 

言葉(特に名詞)は他と区別するために存在しています。

他と区別するために存在している言葉を使って

自分の世界観を作り上げたり、

他人とのコミュニケーションをしているわけですから、

当然、他と区別するものの考え方が当たり前になっていきます。

 

これに、「自分に執着する潜在意識」である末那識が加わると、

最強コンビと言ってもよくなるくらい、

「モノを分ける発想」100%になっていきます。

 

「モノを分ける発想」も現実生活を生きていく上で

必要ですから、全否定するものではありませんが、

あまりにもこちらに偏りすぎていることを問題視しています。

 

「モノを分ける発想」の行きつく先は、

「自分と他人は違う」⇒「自分は正しくて他人は間違っている」となり、

最後はケンカやトラブル、戦争へと発展していきます。

 

自分と自然を分けるから、自然破壊も進みます。

 

それでは、私達は「モノを分けない発想」にたどり着くために

具体的にどのようなステップを刻めばよいのでしょうか。

 

それが次の3ステップです。

 

1 正しいものの見方、考え方を「聴いて」教わる

 

本を読むということでもいいですが、

要は知っている人から教えてもらうということです。

 

これは1回聴いておしまいということではありません。

正しい教えであるかぎり、何度も何度も聴いて、

正しい教えを自分の心の奥底にしみこませていくことが大切です。

 

2 聴いて教わったことを、よく考えてみる

 

聴いてなるほどと思った原則論を、キチッと消化するために、

自分の立場や状況に置き換えて考えてみましょう。

考える時に用いるのは「言葉」です。

ということで、言葉についても全否定するものではありません。

ただ、言葉にも限界や弊害があるということです。

 

3 言葉の奥にある本質をつかむ

 

考えに考え抜いたら、今度は言葉を手放します。

これには瞑想が一番です。

瞑想にはいろんなアプローチがあるようですが、

目をつぶりながら言葉であれこれ考えると、

前述の「2」の世界になってしまいますので、

言葉で考えるのはやめましょう。

 

人によっては「息になりきれ」という方もいらっしゃいます。

本当に息になりきれたとき、

言葉の奥の世界にアクセスできるのかもしれませんね。