昨日のゆるピタ、お楽しみいただけたでしょうか?
前半は、明治神宮のレア話。
明治神宮の森はどのようにしてつくられたのか、
というお話で盛り上がりました。
私は聴き役の方でしたが、
当時の人たちの深謀遠慮が垣間見えて、
実に興味深いお話でした。
また、途中から、せいれいの復習ということで、
せいれいの算出方法、各せいれいの特徴、
せいれいを学ぶメリットなどについてお話を致しました。
中盤の音楽は、萩原ゆたかさんの「たったひとつの」。
他の人と比べることなんてないんだ、という
力強いメッセージが印象に残りました。
東洋思想には関係のないコメントで恐縮ですが、
Sus4からメジャーで解決する
コードパターンに弱く、実に心地よい感じでした。
(例:ドファソの和音⇒ドミソの和音)
後半は、「モノを分けない発想」と「モノを分ける発想」の続き話から、
「モノを分ける発想」に大きな影響を与えているのが
「ことば」なんだ、というお話をしました。
言葉(特に名詞)は他と区別するために存在しています。
他と区別するために存在している言葉を使って
自分の世界観を作り上げたり、
他人とのコミュニケーションをしているわけですから、
当然、他と区別するものの考え方が当たり前になっていきます。
これに、「自分に執着する潜在意識」である末那識が加わると、
最強コンビと言ってもよくなるくらい、
「モノを分ける発想」100%になっていきます。
「モノを分ける発想」も現実生活を生きていく上で
必要ですから、全否定するものではありませんが、
あまりにもこちらに偏りすぎていることを問題視しています。
「モノを分ける発想」の行きつく先は、
「自分と他人は違う」⇒「自分は正しくて他人は間違っている」となり、
最後はケンカやトラブル、戦争へと発展していきます。
自分と自然を分けるから、自然破壊も進みます。
それでは、私達は「モノを分けない発想」にたどり着くために
具体的にどのようなステップを刻めばよいのでしょうか。
それが次の3ステップです。
1 正しいものの見方、考え方を「聴いて」教わる
本を読むということでもいいですが、
要は知っている人から教えてもらうということです。
これは1回聴いておしまいということではありません。
正しい教えであるかぎり、何度も何度も聴いて、
正しい教えを自分の心の奥底にしみこませていくことが大切です。
2 聴いて教わったことを、よく考えてみる
聴いてなるほどと思った原則論を、キチッと消化するために、
自分の立場や状況に置き換えて考えてみましょう。
考える時に用いるのは「言葉」です。
ということで、言葉についても全否定するものではありません。
ただ、言葉にも限界や弊害があるということです。
3 言葉の奥にある本質をつかむ
考えに考え抜いたら、今度は言葉を手放します。
これには瞑想が一番です。
瞑想にはいろんなアプローチがあるようですが、
目をつぶりながら言葉であれこれ考えると、
前述の「2」の世界になってしまいますので、
言葉で考えるのはやめましょう。
人によっては「息になりきれ」という方もいらっしゃいます。
本当に息になりきれたとき、
言葉の奥の世界にアクセスできるのかもしれませんね。
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