(本HPオープン前に別サイトで書き込んだ放送後記の再掲です。)
こんにちは。『中野泰の ゆるピタ せいれいの森』の森の番人、中野です。
7月29日(月)放送が昨晩終了致しました。
今回は3分30秒程度遅れての放送となりました。
時間通り放送できず、お詫び申し上げます。
さて、今回は【さらりい】の特集。
さらりいは水のせいれい。水から受ける印象や
川や海、雨などの印象がさらりいの印象を形作っていきます。
番組中、二人にお話しいただくエピソードには台本はありません。
どんなお話が飛び出してくるかは、私も本番直前まで分からないんです。
ふたを開けてみたら、いかにもさらりいという感じがして楽しかったです。
なお、ゲストのさとさんによる著書『31歳からの子宮の教科書』は【コチラ】です。
番組中盤では、伊東真紀さんの「new globe」を放送しました。
こちらの曲は【伊東真紀さんのHP】からフリーダウンロードできます。
伊東真紀さんのライブ情報はこちら。
8月8日(木)~伊東真紀 Prism of life Vol.6~
Open: 17時30分 Stage:1st 19時00分~ 2nd 20時30分~
JZ Brat Sound of Tokyo
URL http://www.jzbrat.com/
Address:〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町26-1
セルリアンタワー東急ホテル2階
JR:渋谷駅 南改札西口より徒歩3分
東急東横線:渋谷駅 南口より徒歩5分
ご予約&お問い合わせ:03-5728-0168(平日15時~21時)
JZ Bratのホームページからも予約可能
出演:伊東真紀(Vocal)、秋田慎治(Piano)、平石カツミ(Bass)、小前賢吾(Drum)
番組の後半は中国古典『大学』より冒頭の一文の解説を致しました。
「大学の道は、明徳を明らかにするにあり。民に親しむにあり。至善に止まるにあり。」
『大学』とは「大人(たいじん)の学問」。
自分のことしか考えない小人(しょうじん)に対して、
大人は皆のことをも考えられる人。
あるいは周りの人のことも考えたいと思っている人。
そういう人たちが学ぶ学問が「大人の学問=大学」です。
昔は、リーダーの子弟は皆この本を読んで、
リーダーとしての心構えを学んでいました。
自分の良心に対して素直な心を持ち、それを実践することが
「徳」という漢字の成り立ちです。
こうした徳はこれ見よがしにやるものではありません。
人が見ていようと見ていまいと、
やるべきことをする、してはいけないことはしない。
まず、こうした心構えに基づいた実践が必要です。
これが「玄徳」です。
先週、本末についてお話ししました。
根っこに相当する大切な部分が「本」で、
「本」があるからこそ生きるものが
葉っぱに相当する「末」だというお話でした。
「玄徳」と「明徳」。どちらが「本」でしょうか?
答えは「玄徳」です。
玄徳は根っこに相当します。
根っこというのは多少は地表に出ている場合もありますが、
大半は地中にあり、私たちの目には見えません。
でも、その根っこが時には巨木にもなる樹木を支え、
地中にある養分と水分を吸い上げているのです。
目に見えないところでしっかり支える。
まさに、人が見ていないところでも
誠実な生き方を貫くという意味で、
玄徳は「本」に相当します。
本当に徳のある人になってくると、
何気ない一言や、何気ないしぐさ、目つきなどが変わってきます。
それがある一定のラインを超えてくると、
周りの目から見て、
「あの人は徳のある人だね」と自然と伝わっていくようになります。
自分でこれ見よがしに、「オレは徳があるんだぞ」と
自分の徳を明らかにするのではなく、
本当の徳を自分にしみこませていくうちに、
自然と徳がにじみ出てくるイメージです。
これが「明徳」だと私は考えています。
玄徳という根っこがしっかりしているから、
目に見える「明徳」も太くしっかりしたものになります。
さて、徳にもいろいろな徳がありますが、
その中でも重要な徳の一つが「仁徳」です。
「仁」とは思いやり。
徳のあるリーダーが民を思いやる施策を講じていくと、
そのリーダーを見た民は、
「このリーダーについていこう!」と思います。
民は素晴らしいリーダーに感化されていくのです。
これが「民に親しむ」の意味合いです。
そして、「至善」。これは絶対的な善です。
私達が考える「善悪」は一般的に相対的なものが多いです。
自分にとっては善だけど、相手にとっては悪であることってありませんか?
戦争で多くの敵兵を殺した人は自国では英雄ですが、
相手の国では極悪人です。
絶対的な善とは、こうした相対の世界を超えた善です。
いつの時代、どんな場所でも通用する善。
こうした「絶対的な善を維持していきましょう」というのが
「至善に止まる」ということです。
そして、この至善に止まるというのは、
「明徳を明らかにする」ことや
「民に親しむ」ということを維持し続けていこう
ということをも含んでいます。
南宋の朱熹は、明徳を明らかにするということは、
自分自身のあり方を見つめ直すということで、「修己」と言い、
民に親しむということは、正にリーダーとして人を治めていく、
「治人」と言っています。
そこで、『大学』を「修己治人の学」と言っています。
他人にリーダーシップを発揮していきたいのなら、
まずは自分自身のあり方をキチッとすること。
こうしたことを昔の偉人たちは学んでいた。
だからこそ、「偉人」になれたのではないでしょうか?
大学について学びたい方は、伊與田覺(いよたさとる)さんの
『己を修め人を治める道』がおススメです。
それでは次回の放送もお楽しみに!
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